ファム・ファタールの清怨

ブログの文章は全てフィクションです。

汚れる肺と鰓

副流煙

という文字を見るたびに去年の、いや一昨年の12月、大きな手に頬を包まれてそっと唇に吹き込まれたブラックスパイダーの煙を思い出す。浅葱色の箱に黒い英文、少し尖ったお酒の匂いもしたかもしれない。わからない。なにせもうずっと前のことなので。

誰かと付き合っている間のことなんて特に輝いていた日や、あ、こんな小説あったな、なんて創作物の記憶と絡めた出来事しか覚えていないくせに、心が近づく前のことは仔細に思い出せるのは本当に悪いところだ。手に入らないものほど脳をめいっぱい使って拾いあげようとする。小さい頃、鉱物のコレクションが好きだった。海や炭鉱、観光地の売店、街の片隅のアジアンショップなんかでうっている、手にのせると冷たいもの。人間の目には見えないけれどその土地の空気をそっと吸ったり吐いたりする鰓のようなものがある気がして、そこを通り過ぎた過去の記憶に触れるように水晶とその外側の岩の境目を指でそっと撫でていると時を忘れた。

良かれと思って祖母が月刊世界の鉱石を頼んでくれた。ディアゴスティーニ、立派な赤い天鵞絨のクッションに上品に座った磨かれた石たち。どんどん増えていくうちに本棚に縦にしまわれて側面だけが日に焼けてしまった。誰か知らない人の手によって家まで届けられる鉱石にはあまり良さが見いだせなかった。男もそんなような気がする、男だけでなくなにもかも。

4月30日午前2時頃

私は事実としてバニラの匂いのするタイニーな女だけど、高校生の時願った"バニラの匂いのするタイニーな女"にはなれなかった。

 

aikoの二時頃という曲がある。

好きな人に電話したら男は彼女が寝てる横で話してたという憎しみしかわかない曲で、そいつの女が"バニラの匂いのするタイニーな女の子"だという。

このフレーズは電撃のように高校生の私の脳みその深い所に染み込んで、歳を経てもたまに強い衝撃を与えると滲み出てくる、例えばこんな時。

 

元彼の今カノを見つけた。

隠されていた訳でもなく見ないようにしていただけだったので、ふと彼のことを思い出した瞬間にその女は現れた。

口数が少なそうな女だった。

先月LINEしてきた元彼が彼女と一緒に飼っていると私に言った動物の写真がたくさんと、私が何度も頬を寄せたセットアップが吊るしてある男の部屋を背景に撮られた自撮り。去年の11月から付き合っているらしい。ショートカットの横顔、DIOのホクロみたいに並んだピアス。男の手。知っている赤いニット、シャツ、去年から変わらない服。

インスタは小動物とベージュと自然、酒。

いかにもお前の好きそうな女だね。私の対極にいる女。

裏側の配線は酷く手が込んでいるくせにシンプルなデザインのパソコンみたいな女。

きっと誰かの移り香じゃない煙草の匂いがするだろう。

 

彼に電話をかける「あたし」は、本人に会ったのか、彼からバニラの匂いがしたのか、彼女がバニラの香水を、ボディクリームを使っているのを知ったのか、どれでもいいのだけど。

枕と服と髪と、脳の奥からバニラの香りのする私は二時頃それと反対側にいる。

追う

もしかしたら本当に好いてくれているのかもと思った。

ペラペラの布団にお風呂も入らずに転がっている彼は寝ているのか起きているのかもわからない。

付き合う前に彼にプレゼントした、金のマニキュアは光の加減で少し緑色にもさ見えた。

彼のマニキュアを勝手に塗った私の手を、同じ爪の色をした手が握っている。長い指。目にかかる髪を束ねるために少しだけ解いたら、うとうとしながら手をさ迷わせていて、近くに寄せたらぎゅっと握られた。そんなことをされたらもう何も出来なかった。

 


昨夜ホットプレートを買った。

餃子を焼くには家にあるフライパンはちいさくて小雨の降る中電車に乗った。高田馬場では買えなくて、なんだか遠出したくなって、わざわざ2回も乗り換えて新宿東南口のドン・キホーテに行った。一人暮らしにしては少し大きなものを買った。私も少しお金を出した。昨日はセックスに忙しくて餃子は作れなかったので、今日はついでに500円の牛肉も焼いた。私もお金を出した家財道具が、彼がいるととても狭い7畳の部屋にぴかぴかと置かれているのはなんとも言えず嬉しい。

お酒を少し飲みすぎて寝てしまった彼の横にそっと座る。

ギターを習って初めて彼の指のしなやかなことを改めて知るように、一つ一つに目を向けて初めて気づくことがあまりにもたくさん。絡めた指の関節の大きさと柔らかな皮膚。わざと残した口髭ときっと剃り残しただけの顎下の髭、カーテンと雨戸のない涼しい部屋、とろけるように若い夏の夜の小雨。

わたし以外が好きなことがバレバレだと思っていたラブソングは、照れ隠しでわざと単調に歌っているのが鏡越しに目が合ってわかった。

今週はビリヤードに行くでしょう。それからあなたの習う私の知らない国の音楽を教えてね。11月はあなたの誕生日だから、あなたの好きな国で一緒に祝おう。私はここが好きだけどパスポートを取ったっていいよ。

この船のように大きな背中はあまりにも頼りがいがあって、私はそれでいて頼れない。

 

ねえ私のことが好きでしょう、今は。

私もあなたのことがこんなにも。今は。

本棚に置かれた「いつか別れる でもそれは今日ではない」

昨年のベストセラーの文字はちょうど今じきの夕暮れの影のように、振り返る時だけ細く追いかけてくる。

遠い外国の大きな太陽を求める彼の後ろに影は黒々とひかり、ぽっかり口を開けた穴のように踏み外してしまいそうで恐ろしい。

ねえ日陰を選んで歩いていこうよ。影を影で紛わせて買える安心感、それじゃだめなのもわかっていて、わからないふりをしたかった。

でも、わからないふりをして困らせることも、しないくらいにはもうきっと距離があったのだろうけど。

 

クリスマスツリーの点灯式が行われて、もうきっと彼はあの頬を寄せるとすこし冷たい布団では寝ていないだろう。

眠る彼の胸にまとわりつく服の温かさを、まだ覚えている。忘れていないだけだけど。

ホテルアイビー 5階

 

 

 

二人で幸せになるか、二人揃って不幸になるか、どっちかなのよ

(江國香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」より)

 

どうせ無理だった。

 

×が別れるなら俺も別れる、なんて、使い古された嘘を誰が信じるだろう。

酒を飲んで泣くのは私も彼も同じで、ジョッキになみなみと注いだ質の悪い日本酒を質の悪い大学生らしく飲み干して、飲んだぶんだけきっちり泣いた彼は、辛くて寂しくて私のことがどうしてもどうしても好きなのだとごねた。あんまりばかで、かわいくて、嘘なんかつけなそうにみえて、信じてしまった。踊る阿呆に見る阿呆。

宙に浮くような、背骨を抜いてしまうような、鏡にうつった手と指を絡ませられたような、それ特有の脳がとろける麻薬、そんな感覚は言ってはいけない言葉を言い切る前に簡単になくなってしまって、それでもとても離れられなくて、ひとつの塊から2人の人間に戻った後に必ず追いかけてくるバッドトリップのきつさに手先がしびれる。このまま飛んでいけたらいいのに。かつてと同じ見た目をした全く別の生き物が、ゆっくりとピントを合わせるように理性を取り戻していくのを私の眼球を通してぼんやり眺めていた、あれは一体誰だったのだろう。私ではない何かが私を侵食しているのを久しぶりに感じた。

けれど何者かに侵食される体が徐々にコントロール出来なくなっていくのは確かな快感だった。それは無くしたと思っていた付けもしない髪留めを見つけたみたいな、大したことのないすぐ忘れてしまう喜びで、もっと他に大切にしなければいけないものがあったはずで。まあ、それも大切なんて陳腐な言葉でしか表現出来ない、どうでもいいものなんだろうけれど。それでもはるかにそんなものよりは守るべきだった、気がする。

口付けるより頬を甘噛みすれば簡単に熱くなる体も、私が何度も何度も繰り返しつけた独特のくせも、それを本人はくせとは知らないことも、なぞるように毎月思い出すことに慣れてしまえば、それだけなんだけれども。

その日はたまたま日暮里だった。そしてたまたま鶯谷だった。

MSCですら思う「現在位置確認縛り合うそこの彼女しまっときな」、いくら妖怪でも"心にゆとりとさわやかマナー"があってできなかった、やる気もないことでもやる権利を剥奪されている身分としては少し、つらい、

そしてまたあっさりと彼はいなくなった。

私以外何もかもが静止した安い部屋で、彼は出ていって、私の終電はなくて、どこかの部屋からシャワーが流れる音が漏れ聞こえた。

誰がとか、いつからとか、そんな簡単な話ではなく、きっとファム・ファタールなんか頭の中にしか存在してなくて、これは渇望を通り越したただの衝動で、少しの優越感と怒りと、独占欲に伴って昂る血潮が静脈を抜けて青白いシーツに流れて、また体内に戻ってくるみたいな、奇妙な震えを感じていた。

どうしてこんなに寂しさを覚えるのかわからなかった。

眠れても本当に数分だけで、何度目を覚ましてもすぐに繰り返し繰り返し夜がきた。図書館で黄ばむ昔の児童文学みたいなこわい時間を、騙し騙し繋いでくれた友達の声でかき消して、山手線の始発が動き始める頃には動かないカーテンの隙間にも少しだけ光が差し込んだ。

このホテルは、きっと店の女の子を呼ぶ時なんかに使う価格帯の部屋ばかりで、でもお金が無いものだから付き合っていた頃から何回も2人で通った。どこも満室のクリスマスもここだけ空いていて、私があんまり着飾っていたものだから、「本当にうちでいいの?」とフロントで言われたことを古いタイルの狭いお風呂場を見て思い出した。4年生になってお互いお金に余裕があったから、ここに来たのも久しぶりで、久しぶり、そうだなあ。朝が来てしまったことで乳液のようにしっくりと皮膚に馴染んだ諦めと、少しだけ開いた窓から見える10月頭の、初秋のクリーム色をした夜明けの空に似た、胸が引き裂かれるような清怨を感じて息が出来なくなった。

あそこでまた誰か、1人の私が死んだのでしょう。 まだそこで私の代わりに、息が出来ないと安いホテルの5階の角部屋で突っ伏している気がして、そうでもないと今こうして普通に歩ける理由がわからない。

もう二人では幸せにはなれないのだったら、じゃあ、もう一緒に不幸になって、ただこういう夜に一緒にいてよ。

日記を読み返すと毎回断ち切った、断ち切ったと書いててバカみたい。どうせまた連絡が来るよとみんなに言われて、でも、今度こそそうじゃないきがする、毎回そう思うけど。

999人の私が死んで生きて死んで、1000人目の幽霊を待っている、早く戻って、死亡診断書を持ってきて。今年も別れてはじめて再会した10月31日がもうすぐくる、きっとすぐくる

 

重み

押し付けられた陰部の形とか、熱とか、そういうのがずっと太ももに残っている気がする。


”Your lipstick stains on the front part of my Left side brain"

こびりついてるのが口紅ならよかったのにね、私の一番好きな曲でオナーを踊っていたのが、あまいや、いやでも、つらいや、グッバイできたらね。

 

執着ごと頭を掴まれて、耳の中に射精されたみたいに、左脳にへばりついた欲望が落としきれないまま1年が経ち、いやもう少し経った。

小さい頃、ビー玉やおはじきや、ガラスの細工が好きだった。

偏食で色や匂いのついている食べものが大嫌いだったので、寒天や豆腐、氷砂糖、ゼリーと並んで好きだった。今もいまいち食欲と愛欲の区別がつかないのはそのせいかもしれない。

暗く冷えた夏の昼過ぎ、フローリングに腹ばいになって、薄ガラスのモビールが冷房の風に揺れているのと、手に握ったおはじきの青、朱、透ける乳白色。

あんまり綺麗についたその色を舌に乗せたら甘いような、苦いような。試してみたいような気がして、流水で冷やして隠れるように口に含んだことがある。

ガラス玉 口に含んで飲まないでおくような恋 嘘はバレない

甘みも香りもなく「ただそこにひんやりと存在する」なんだかよくわからないかたまりは、仄かな衝撃を孕んだ少しの重みで舌を押した。

飲み込む勇気はないのだけど、でも口に含んだのを見付かって怒られるのが恐ろしくて、ぬるく居心地が悪くなっても出すことが出来なかった、

 

完全にぬるくなってしまった感情は、幼い頃のおはじきのように、しかし叱られることはなく、いなくなってしまうことへの恐怖を伴っていつまでも口の中にいた。

砂糖ならじわじわ溶けて記憶みたいに吸収できるだろうに、4年かけて固めたガラス玉はつるりとして角もないまま、咀嚼にも苦労する場所に鎮座している。溶けることの無いそれを飲み込んでしまったらもうそれは一生で、底知れず怖い。飲み込むことが大人なのだろうか、わからないけれど、

一緒にいて欲しいと叫んで泣いてしまいたかった。こんなにも、心の中では大木を倒すような風が吹き荒れていても、本人にはそれは言えずに、ずっと好きだよお、もう付き合えないけどね、復縁はないよね、お互いにそうなんだよね、と扉の前に少しずつ本を積み重ねて、もう外に出られないほどの重しになってしまった、この本はどこから来たの、あなたの部屋ですか。あなたはどこにでも行けるんですか。

開かない扉の前でガラス玉をくわえて、無力な子供のままでいるのは可哀想ですか。

フローリングは腹ばいになるにはもう冷たすぎて、

可哀想だと思われることだけが、本当に、ただただ苦痛だ。

学生時代に力を入れたことを教えてください

喧騒の中声を聞いた新宿。

執着と手垢で駅名が読めないほどの池袋、

手の甲しか触れ合えなかった丸の内、

キスだけはできた山手線ホーム、

抱えられた腕が華奢で笑みがこぼれた恩賜公園

霞むほど遠くても襟足でわかる大久保通り、

喉がからからに渇くほど欲しくてたまらなかった草加

夢を固めたような品川プリンスホテル

観覧車で触れ合った葛西臨海公園

スクショを撮られた「夕月別館」、

コードで鮮血の滴る左肘を縛って下った道玄坂

幸せを使い果たした群馬、

友達の家で肌を重ねた四谷三丁目。

また、友達の家で肌を重ねた向ヶ丘遊園

震えるほどまだ好きだった大阪、

首の日焼けに口付けた片瀬江ノ島

新座の桜のとろけるような白。

冷たい奥歯を噛み締めた快速急行小田原行、

若葉台の花かんむり。

レンタカーとレペゼン地球と山梨の夏、

階段から落ちて頭蓋骨を折った新宿西口、

離れてから知る新百合ヶ丘の夕陽、電動自転車の音。

飛び出した車道のアスファルトが雨に濡れて光る新宿。

また会える気がした上野。

断ち切れなかった大宮。

断ち切った中野。

 

また繋がってしまう新宿。

 

通りかかる度に全部を思い出してしまうほど好きで好きで好きでした、本当に好きだった、私が学生時代力を入れたことがほかにでてこないくらい、全てでした。

初めて煙草を吸った日

 


「ーーさんは煙草なんか吸わない方がええね」

男の影がすごいから、と冗談めかして笑う人の煙草の火を灰皿で丁寧に消す仕草があんまり魅力的で、もう一本分だけどうしても見てみたくて、話なんか全然聞いていなかった私はねえそれ私にも1本頂戴とねだってしまった。

それが始まりで、顔を指先で愛撫するように生えた髭とブラックスパイダーの黒いフィルターのコントラストに依存するように、まるでキスをねだるようにタバコを吸うようになった。

なんだか男の影がすごいような気がする。

 


その綺麗な長い指で、私が塗り分けた爪先で、私のことなんかちっとも重ねていないことがバレバレのラブソングを弾き語るのを見る。感情を殺すのだけが上手くなる気がする。

ずっと好きな元カノがいることも知っている。それを承知で好きになったのだから、いいのだけど、もしかしたらいつかは私のことを好きになってくれるかななんて、そんなの。

煙草を吸うようになって、サッカーを見るようになって、backnumberをきくようになって。

ハッキリしたピンクかベージュだったら肌なじみのよいベージュの洋服を買うようになった。自然派の女が好きだと言ったから。

泣いても落ちないリキッドより笑顔が優しく見えるペンシルのアイライナー、きっともう激しく泣くことも無いので。

腰まで届く重たい縦巻きが似合う髪も肩くらいに切って薄くウェーブさせるのもいい気がした、オーガンジーよりコットン、ラメよりパール、「影響受けすぎ、」なんて悪友に背中を叩かれる、わたしはわたしでいなければわたしである意味なんかないのに、追いつけない過去にすがりたくなる。

お気に入りの深いピンクのファーコート、レースが透けるピンヒール、スカルプで伸ばした爪よりも、少しでも君の好きな、今日なんだか可愛いねって褒めてくれる私になりたくなって、

ああなんだか今まさに文章だって簡潔になってしまった気がする。

デコラティブで息が詰まりそうな、とろりとした度数の高いお酒、それも小さい泡が怠惰に泳ぐ果物の香りの炭酸で割ったようなのに、有り余る執着を薄く溶かしてゆっくり舌に乗せるような文章、そうそうこんな感じの、ができなくなってしまう。

そんなのってきっと好きじゃないんでしょ。

見えない何かに合わせてしまっても、誰かの、特定の誰かの非日常みたいな女であれたらと思う。

丈の短い分厚いダウンにハイネックなんてMILKFED.のサコッシュを首から下げて横顔をカメラで隠す女みたい。

コンビニの化粧品棚の2色しかない安いリップを買いもしないくせにあざとく眉をひそめて悩みそうだし、そのくせオジさんみたいなつまみをカゴに入れる。スルメとビーフジャーキー。貝ひも。

駒込駅から徒歩8分の、友達が片思いしているのを知ってる男友達の部屋の煙草で焦げたカーペットにくたりと座っていそうでいやだ。家だけで煙草を吸う男友達の銀色の灰皿をいやらしくストーリーに載せるのがいやだ。

外跳ねのハイライトの入ったカーキベージュの髪、ハーフアップの毛先をまるくお団子にして、ブロンズのピンをへんてこにクロスして止めて、安っぽいピンクのネイルをセルフで塗った両手で、ほろ酔いの缶をぎゅっと握ったりするんでしょ。どうせ白いサワーでしょ。ありふれたバニラのボディークリームの香りが無駄に火照った肌からとろけて、Tゾーンのハイライトはオーガニックオイルを仕込んでつやつやで、MACのマットなオレンジリップがクラシックで、薬物なんかの前に規制するものがここにあるのに、何をしているの。

私の部屋にはシャンデリアもあるし三面鏡のドレッサーもあるしベッドには天蓋だってついている。小さいけど鹿の頭だって壁に飾られている。

すれ違うとばらの香りがするし、ネックレスを付ける仕草の首元からはlaura mercierのボディークリームのバニラの香りがするし、抱きしめると下着からマグノリアサシェが体温に温められて香るはず。

瞬きする度に14mmのCカールがカーキブラウンに羽ばたくし、唇は資生堂とDiorとLADUREEグロスが角度によって違う色に光る。コートもデートの度に変えている。コートだけじゃなくてブラウスもスカートも何もかも。昨日と同じタイツじゃないよ、昨日はチャコールグレーで今日はグレーブラウンなの。

 

目指すのは今日会った私にはもう二度と会えないような、そんな感じの、そんな女に。

 


突然口付けられた。

こじ開けるように唇を舐められて、上顎を舐められて、咳き込む。耳の裏に流した髪を大きな手で絡み取られて力が抜けた。唾液とアイスバニラの香りが喉奥に落ちた。

咳とともに紫煙が零れる。


「一口ちょうだいって言ったから」


彼はもう一度深く吸い込むと乱暴にキスと一緒に煙を流し込んで満足気に私の舌を軽く噛んだ。

何を考えていたかもすっかり忘れるほどに脳髄まで燻されて、いろんなことがどうでも良くなって、でも少しだけどうでもよくなくて、寂しいと思う自分を見ないように固く目を瞑った。