ファム・ファタールの清怨

ブログの文章は全てフィクションです。

ホテルアイビー 5階

 

 

 

二人で幸せになるか、二人揃って不幸になるか、どっちかなのよ

(江國香織「思いわずらうことなく愉しく生きよ」より)

 

どうせ無理だった。

 

×が別れるなら俺も別れる、なんて、使い古された嘘を誰が信じるだろう。

酒を飲んで泣くのは私も彼も同じで、ジョッキになみなみと注いだ質の悪い日本酒を質の悪い大学生らしく飲み干して、飲んだぶんだけきっちり泣いた彼は、辛くて寂しくて私のことがどうしてもどうしても好きなのだとごねた。あんまりばかで、かわいくて、嘘なんかつけなそうにみえて、信じてしまった。踊る阿呆に見る阿呆。

宙に浮くような、背骨を抜いてしまうような、鏡にうつった手と指を絡ませられたような、それ特有の脳がとろける麻薬、そんな感覚は言ってはいけない言葉を言い切る前に簡単になくなってしまって、それでもとても離れられなくて、ひとつの塊から2人の人間に戻った後に必ず追いかけてくるバッドトリップのきつさに手先がしびれる。このまま飛んでいけたらいいのに。かつてと同じ見た目をした全く別の生き物が、ゆっくりとピントを合わせるように理性を取り戻していくのを私の眼球を通してぼんやり眺めていた、あれは一体誰だったのだろう。私ではない何かが私を侵食しているのを久しぶりに感じた。

けれど何者かに侵食される体が徐々にコントロール出来なくなっていくのは確かな快感だった。それは無くしたと思っていた付けもしない髪留めを見つけたみたいな、大したことのないすぐ忘れてしまう喜びで、もっと他に大切にしなければいけないものがあったはずで。まあ、それも大切なんて陳腐な言葉でしか表現出来ない、どうでもいいものなんだろうけれど。それでもはるかにそんなものよりは守るべきだった、気がする。

口付けるより頬を甘噛みすれば簡単に熱くなる体も、私が何度も何度も繰り返しつけた独特のくせも、それを本人はくせとは知らないことも、なぞるように毎月思い出すことに慣れてしまえば、それだけなんだけれども。

その日はたまたま日暮里だった。そしてたまたま鶯谷だった。

MSCですら思う「現在位置確認縛り合うそこの彼女しまっときな」、いくら妖怪でも"心にゆとりとさわやかマナー"があってできなかった、やる気もないことでもやる権利を剥奪されている身分としては少し、つらい、

そしてまたあっさりと彼はいなくなった。

私以外何もかもが静止した安い部屋で、彼は出ていって、私の終電はなくて、どこかの部屋からシャワーが流れる音が漏れ聞こえた。

誰がとか、いつからとか、そんな簡単な話ではなく、きっとファム・ファタールなんか頭の中にしか存在してなくて、これは渇望を通り越したただの衝動で、少しの優越感と怒りと、独占欲に伴って昂る血潮が静脈を抜けて青白いシーツに流れて、また体内に戻ってくるみたいな、奇妙な震えを感じていた。

どうしてこんなに寂しさを覚えるのかわからなかった。

眠れても本当に数分だけで、何度目を覚ましてもすぐに繰り返し繰り返し夜がきた。図書館で黄ばむ昔の児童文学みたいなこわい時間を、騙し騙し繋いでくれた友達の声でかき消して、山手線の始発が動き始める頃には動かないカーテンの隙間にも少しだけ光が差し込んだ。

このホテルは、きっと店の女の子を呼ぶ時なんかに使う価格帯の部屋ばかりで、でもお金が無いものだから付き合っていた頃から何回も2人で通った。どこも満室のクリスマスもここだけ空いていて、私があんまり着飾っていたものだから、「本当にうちでいいの?」とフロントで言われたことを古いタイルの狭いお風呂場を見て思い出した。4年生になってお互いお金に余裕があったから、ここに来たのも久しぶりで、久しぶり、そうだなあ。朝が来てしまったことで乳液のようにしっくりと皮膚に馴染んだ諦めと、少しだけ開いた窓から見える10月頭の、初秋のクリーム色をした夜明けの空に似た、胸が引き裂かれるような清怨を感じて息が出来なくなった。

あそこでまた誰か、1人の私が死んだのでしょう。 まだそこで私の代わりに、息が出来ないと安いホテルの5階の角部屋で突っ伏している気がして、そうでもないと今こうして普通に歩ける理由がわからない。

もう二人では幸せにはなれないのだったら、じゃあ、もう一緒に不幸になって、ただこういう夜に一緒にいてよ。

日記を読み返すと毎回断ち切った、断ち切ったと書いててバカみたい。どうせまた連絡が来るよとみんなに言われて、でも、今度こそそうじゃないきがする、毎回そう思うけど。

999人の私が死んで生きて死んで、1000人目の幽霊を待っている、早く戻って、死亡診断書を持ってきて。今年も別れてはじめて再会した10月31日がもうすぐくる、きっとすぐくる