ファム・ファタールの清怨

ブログの文章は全てフィクションです。

初めて煙草を吸った日

 


「ーーさんは煙草なんか吸わない方がええね」

男の影がすごいから、と冗談めかして笑う人の煙草の火を灰皿で丁寧に消す仕草があんまり魅力的で、もう一本分だけどうしても見てみたくて、話なんか全然聞いていなかった私はねえそれ私にも1本頂戴とねだってしまった。

それが始まりで、顔を指先で愛撫するように生えた髭とブラックスパイダーの黒いフィルターのコントラストに依存するように、まるでキスをねだるようにタバコを吸うようになった。

なんだか男の影がすごいような気がする。

 


その綺麗な長い指で、私が塗り分けた爪先で、私のことなんかちっとも重ねていないことがバレバレのラブソングを弾き語るのを見る。感情を殺すのだけが上手くなる気がする。

ずっと好きな元カノがいることも知っている。それを承知で好きになったのだから、いいのだけど、もしかしたらいつかは私のことを好きになってくれるかななんて、そんなの。

煙草を吸うようになって、サッカーを見るようになって、backnumberをきくようになって。

ハッキリしたピンクかベージュだったら肌なじみのよいベージュの洋服を買うようになった。自然派の女が好きだと言ったから。

泣いても落ちないリキッドより笑顔が優しく見えるペンシルのアイライナー、きっともう激しく泣くことも無いので。

腰まで届く重たい縦巻きが似合う髪も肩くらいに切って薄くウェーブさせるのもいい気がした、オーガンジーよりコットン、ラメよりパール、「影響受けすぎ、」なんて悪友に背中を叩かれる、わたしはわたしでいなければわたしである意味なんかないのに、追いつけない過去にすがりたくなる。

お気に入りの深いピンクのファーコート、レースが透けるピンヒール、スカルプで伸ばした爪よりも、少しでも君の好きな、今日なんだか可愛いねって褒めてくれる私になりたくなって、

ああなんだか今まさに文章だって簡潔になってしまった気がする。

デコラティブで息が詰まりそうな、とろりとした度数の高いお酒、それも小さい泡が怠惰に泳ぐ果物の香りの炭酸で割ったようなのに、有り余る執着を薄く溶かしてゆっくり舌に乗せるような文章、そうそうこんな感じの、ができなくなってしまう。

そんなのってきっと好きじゃないんでしょ。

見えない何かに合わせてしまっても、誰かの、特定の誰かの非日常みたいな女であれたらと思う。

丈の短い分厚いダウンにハイネックなんてMILKFED.のサコッシュを首から下げて横顔をカメラで隠す女みたい。

コンビニの化粧品棚の2色しかない安いリップを買いもしないくせにあざとく眉をひそめて悩みそうだし、そのくせオジさんみたいなつまみをカゴに入れる。スルメとビーフジャーキー。貝ひも。

駒込駅から徒歩8分の、友達が片思いしているのを知ってる男友達の部屋の煙草で焦げたカーペットにくたりと座っていそうでいやだ。家だけで煙草を吸う男友達の銀色の灰皿をいやらしくストーリーに載せるのがいやだ。

外跳ねのハイライトの入ったカーキベージュの髪、ハーフアップの毛先をまるくお団子にして、ブロンズのピンをへんてこにクロスして止めて、安っぽいピンクのネイルをセルフで塗った両手で、ほろ酔いの缶をぎゅっと握ったりするんでしょ。どうせ白いサワーでしょ。ありふれたバニラのボディークリームの香りが無駄に火照った肌からとろけて、Tゾーンのハイライトはオーガニックオイルを仕込んでつやつやで、MACのマットなオレンジリップがクラシックで、薬物なんかの前に規制するものがここにあるのに、何をしているの。

私の部屋にはシャンデリアもあるし三面鏡のドレッサーもあるしベッドには天蓋だってついている。小さいけど鹿の頭だって壁に飾られている。

すれ違うとばらの香りがするし、ネックレスを付ける仕草の首元からはlaura mercierのボディークリームのバニラの香りがするし、抱きしめると下着からマグノリアサシェが体温に温められて香るはず。

瞬きする度に14mmのCカールがカーキブラウンに羽ばたくし、唇は資生堂とDiorとLADUREEグロスが角度によって違う色に光る。コートもデートの度に変えている。コートだけじゃなくてブラウスもスカートも何もかも。昨日と同じタイツじゃないよ、昨日はチャコールグレーで今日はグレーブラウンなの。

 

目指すのは今日会った私にはもう二度と会えないような、そんな感じの、そんな女に。

 


突然口付けられた。

こじ開けるように唇を舐められて、上顎を舐められて、咳き込む。耳の裏に流した髪を大きな手で絡み取られて力が抜けた。唾液とアイスバニラの香りが喉奥に落ちた。

咳とともに紫煙が零れる。


「一口ちょうだいって言ったから」


彼はもう一度深く吸い込むと乱暴にキスと一緒に煙を流し込んで満足気に私の舌を軽く噛んだ。

何を考えていたかもすっかり忘れるほどに脳髄まで燻されて、いろんなことがどうでも良くなって、でも少しだけどうでもよくなくて、寂しいと思う自分を見ないように固く目を瞑った。