ファム・ファタールの清怨

ブログの文章は全てフィクションです。

自意識

11月7日(火)

 

Pan!c at the discoというバンドを教えて貰った。家が遠い私の早い終電までの時間、高田馬場の冷たいベンチで、ひとつのイヤホンをふたつに割いて聞いた。肩を寄せあって聞く曲は半分だけのはずなのに、ひとりで聞くそれよりもずっと心に残るのはなぜだろう。

 


気心の知れた友人達と話した。それは無料で座って話せる席や、池袋駅東口の前を人が通る度に開くドアのせいで外の風が冷たいマクドナルドで話すには少しばかり汚らしく高慢であったけれど、そこだからこそ生まれた会話であったのかもしれない。

19歳から22歳までの男女が4人で集って「犬種の違う犬、美しい装丁の本、美しい瓶」について話した。これらはすべて私たちなりに人間の本質を言い換えた語彙である。しかし、こう書くとあまりに私達が「それらしさ」を求めて生きているかが明らかであまりにも気恥ずかしかった。

女がいる。Mとする。彼女は高校一年からの知り合いで、彼女と私は「同じ犬種の犬」である。たとえてもよいのならキャバリア・キング・チャールズ・スパニエルパピヨンであるが、もちろんそれはここでは問題ではない。同じ犬でもいろんな毛色があるように、私達は容姿は違うが性格や考え方や暮らし方が非常に似ている。

それだけの話でそれは私達がたまに交わす自己愛を震わせるための合言葉に過ぎなかったのだが、偶然に彼と彼の友人もまた同じ犬種であったので異なる犬同士の交際について考える機会が生まれた。Rとする。彼らの犬種についてはここでは言及しない。重ねて言うがそもそも各々のナルシズムを擽るだけのただのお遊びなのだ。

結論にたどり着く前に主旨が伝わること。感動するシーンが同じだったり、恋愛のスタイルが似ていること。彼とRと3人で話すと強く孤独を感じるほどに2人は似ている。

私とMは恋愛で悩んだ時、外見をより磨くことを考える。美しい瓶にはいいものが入っているに違いないし、美しい瓶は部屋に飾っておくと癒される。人にも自慢できる。

「彼氏に愛されていないなら今より髪を黒く染めようかな。と思う。」と言えば、2人は同じ形に眉をひそめて人間は「本」だと言った。わからない。美しい装丁の本は確かに手に取りやすいが、中身がスカスカなら読み続けない。逆に面白ければ古くても大事に読み返す。本は透明のバッグに入れて持ち歩いたりしないし、見た目で人に自慢することは無い。

また、人間の評価は五段階チャートでそれぞれは平等にわけられているとも言った。可愛くなれば「美しさ」の評価値は上がるが、それだけであると。美しさがあっての人生と確かめ合って、お互いに見た目のキャラが被らないように住み分けて暮らしてきた犬達には衝撃の連続であった。異文化交流は楽しいが、最近すれ違うことの多い彼氏が別の犬種であると少し辛い。彼のすべてをすぐ理解できたらどんなに幸せだろう。彼は私に相談をしたりしないし、私の相談を聞くのも好きではなさそうだ。お互いに理解し得ないところも多いし、彼が何気なく発した言葉に私が過剰に反応してしまうこともある。秋の終わりは人肌恋しくなお辛い。重ねて言葉がお互いに不自由な関係である。私より理解してくれる人がいるのに私は必要ないんじゃないかな。

 


「次の電車でいいや」

電車一本分の時間だけでも一緒にいたかった。東横線が地下の空気をかき混ぜて逃げていく。曲はもう終わっていた。彼がiTunesのアーティストたちを親指で撫でながらそのうちの一つを再生すると、風の切れ目に半分だけの女声がきこえる。

ふと「これは、好きかな」と小さく彼自身に問いかけている横顔を見た。

ああ、わからないのだ。と、気づいた。

気に入るかわからない。確信がない。聞いたことがあるかも知らない。けれど、彼はその唇をふと寄せて考えてくれていた。

理解し得ないわたしのために悩んでいる、私なんかのために。

ぎゅっと細い肩に頬を寄せる。吹き込んでくる風にも間を遮って欲しくなかった。勝手に横から手を出して私の好きな曲を流す。

「俺もこれ好きだよ」

薄いシャツから彼の体温を頬で奪って、手のひらに返した。

もうただそれだけでよかった。