はず
女の空洞について考える。
女は体に空洞を抱えて生まれる。
これはどうしようもない事実だと思っていて、うまれついての性質で、空がうすい青から朱に変わって次第に暗くなっていくように、誰かが定めた訳では無いけれどそういうふうになっているのだと思う。
けして何かと比べて欠損しているとか、不完全だとか言いたいわけじゃないの。
息をそっと吹き込んで作るガラスの器のように薄くて美しい入れ物。
内側からじわじわと力をかけるように、親や環境や言葉や評価やなんかが無理やり詰めこまれていって、隙間に好きなものや思い出なんかをピンセットと絵筆で小さく小さく塗り込んで、無我夢中で季節が巡って、ふと気がついたら人ひとりが入るか入らないかの空洞だけが残っているような気がする。
もちろんそこには1人分くらいの価値があるものならなんでも入れて良くて、周りの人はなぜだか空洞の扱いが私より上手な気がして、私はどうしてもそこに入れるなにかを無意識下に探してしまっていた。何も入れなくたってよかったのに。
どうしてかその空洞の正体から目をそらしていたために、わたしは常に何かに急かされるような、甘く焼かれるような焦燥感に襲われていたような気がする。二次性徴前の微かにGがかかるような、紐をほどいたような性欲に似ている、結論のない自分自身に対する欲望は影のように常につきまとった。
突然、背中を叩かれるように空洞の存在を感じてわからないなにかを強く渇望したのは、小学生の頃から飼っていた犬が死んだときだった。大学2年の冬だった。もうすぐ私は3年生になるところで、おばあちゃんの葬儀をして間もなくだったと思う。
彼女はあと10日で12歳の誕生日だった。癌ができていて、手術をすればもう少しだけ長生きできたかもしれないけれど、気づくのがあまりにも遅くて、手術をするリスクの方がずっと高くなっていた。それでも、手術をさせてあげればよかったのに。
彼女が亡くなる晩に、雪が降った。
びっくりするくらいの大雪だった。
思えば彼女がうちにやってきた日にも、雪が降っていた気がする。綺麗な白い雪が車のミラーの縁に薄く積もっているのを小学生の手がなぞっていた記憶がある。私の手。ふわふわの体をそっと抱きしめるとくったりと重みが増して、頼りない小さな温かさが胸にしみこんでいくようだった。本当に手術させてあげればよかった。
雪が見えるように窓辺にクッションを積んで、少しも窮屈なところがないようにゆったりと寝かせて、上から私のパジャマや毛布なんかをたくさんかけて、外の空気を思う存分吸わせてあげた。鼻先だけがでていて可愛かった。嫌になるとすぐ寝てしまうのに、そのときはいつまでも降り積もる雪を見ていた。
その日彼女はいつもより少しだけ元気で、その後すぐ息をしなくなった。
たくさんの花に埋もれた体は真っ白で、散りばめられたスイートピーなのか柔らかかった足なのか区別がつかないほどだった。小さな頃は金色の毛皮が王さまの冠のように輝いていた彼女がいつの間にこんなに白くなったんだろうと思った気がする。よく覚えていない。何しろ泣いてばかりいたものだから、葬儀場に着て初めて自分が何を着ているか気づいたぐらいだった。
黒いハイネックに抜けた毛がついていて、擦ると簡単に落ちてしまうことにまた泣いた。
犬を焼いても祖母を焼いても、同じように煙は空に上がった。
餌の代わりに犬に水とろうそくをあげるようになってしばらくして、自分の中にぽっかりと穴が空いていることに気づいた。突然空いたわけではなくて、どこかのひび割れからすきま風が吹き込んで、空気がくるくる回って空洞の大きさを知らしめているような感じがした。
思えば心の壁のひびを密に埋めていたのが犬だったのだろう。ふわふわした妹であり親友でありよき理解者だった彼女は、パテのように隙間を埋めて、繊細な器そのものを支えてくれていた気がする。
常に付きまとった焦燥感の正体を後ろから殴られるように見せつけられた私は、その日から空洞を埋める役割をその時の恋人に求めてしまった。
心がひび割れていることを知ってしまって、空洞が音が響き渡るほど広いことを理解してしまって、今となっては他人に人生を背負わせることなんか出来るはずがなかったのに、隙間を直すなんてことには考えも及ばなくて、とにかくこの空洞を埋めて欲しくて仕方なかった。
1年間は、楽しそうに笑う友達が朗らかに話す「あっという間」とはかけ離れた負荷を与えて体を蝕んだ。
毎日泳がなければいけない空気には何故か体に耐えられないほどの苦しみが満ちていて、自分だけ重量が何倍もかかっているような気がしていた。
私だけが悪い訳では無いと私にどこまでも優しい人達は言うけれど、悪いとか悪くないとか それ以前に私が彼を変えてしまったことはどうしようもない事実だし、最終的には事実として私が悪い。
そして、この空洞が人より深く深く落ちくぼんでいることをなんとなく理解してどんどん自分のことが嫌いになった。
破局して暫くずるずると体の関係だけ続けていた三ヶ月目のある日、犬が亡くなってから本当に変わってしまったね、と何気なく言われて、それが血が噴き出るような確信に変わった。心から空洞の存在を恥じていたのだと感じた。
悶えるような、それでいて何もかも投げ出してしまえるような気持ちになって、全部がどうでも良くなった。
それでも何もかもを大切にしなければと思った。
空洞を無理して埋めることなどできないし、それを押し付けてしまった人と二度と上手くいくこともない。
この人ひとりぶんの空間はは別にここに誰かをずっと閉じこめるために空いているわけでもないのだ。
隙間なく何かが入っていなくてもいいと思えるのが大人になることなのかもしれない。
私の足元には小さい犬がころころと走り回っていて、すごくやんちゃで、いつも穏やかだった彼女をたまに思い出すけれど、とても悲しんでいる暇がないほど忙しい。そばにいない寂しさよりも、あの子は本当に賢かったね、といとしく思うことの方がよっぽど多い。
ふわふわの塊はもう成人してしまった私のひびを埋めることは出来ないけれど、いてくれるだけでなんだか暖かいような気がする。
でも、ふと結び目がほどけそうないま、隣から漂うアーク・ロイヤルの煙が空洞に吹き込む棘に微睡んでいる。
人生の過程で自分が詰め込みきれなかったこの空洞は、己の思うままに満たそうとすることは端からできなくて、与えられたものでしか満たせないのだと思う。
雁字搦めに縛りつけて泣き叫ぶ恋より、振り返る髪にうっすら副流煙が香るくらいの距離を空洞が求めている。
はず。